昔から物事を深く考えるのが好きだった。
子供の頃、親が共働きかつ一人っ子だったこともあり、誰かと会話するよりも自分の頭の中でひとりぐるぐると考えを巡らせる機会が多かったからかもしれない。
簡単に暇を潰すゲームやおもちゃを持っていなかった、というのも理由の一つだと思う。
このことは自分の美点であったとも思うけれど、同時に悪癖でもあった。
つまらないことに頭を悩ませて精神的に病んでしまうこともあった。
そんな時、周りからは決まって「そんな余計なこと考えるなよ」と言われていた。
そういえば、このブログもそういう余計なことを書き殴って発散させるために作ったのだった。
社会に出て働くようになってから、この悪癖は大いに自分を悩ませた。
世の中でうまく生きていくためには「考えた方が良いこと」よりも「考えない方が良いこと」の方が圧倒的に多いのだと知った。
そのうち、生き抜くための手段として、自分の思考に意図的に蓋をする術を覚えた。
自分の行動や言動が誰かに及ぼす影響に対して敢えて無頓着であろうとした。
本質は利己的でありながら、それを努めて隠そうとする大人たちの態度を見て、自分もそれに倣った。
そうでもしなければ、俺は会社から脱走して永久に部屋に引きこもることになっていたと思う。
今となってはもう、物事を深く考えたり、他人のの気持ちに寄り添うことができなくなってしまった。
最初は蓋をしていただけだったのに、考えること自体が苦手になってしまった。
感情が大きく動くこともなくなって、昔より生きやすくなったとは思うけど、生きている実感は乏しくなった。
こういう人間は珍しくないと思っている。
むしろ、もしかすると我々が多数派なのではないか、とも。