大きな数字
「一人の死は悲劇だが、百万人の死はもはや、統計である。」っていうのは、スターリンの言葉だけど、やっぱり人間の頭っていうのはあまりにも大きな数字は想像できるように作られていないんだなって思う。
例えば、今そっと目を閉じ耳を澄まして秒針の動く音を聴いて、この音をあと二十億回聞いたら俺は死ぬんだ、なんて考えてみても全然ピンと来ないし、日めくりカレンダーをあと二万回破いたら死ぬっていうのもイマイチよく分からない。でも、除夜の鐘をあと五十回聞いたら死ぬってなると、少しだけ死への実感が湧いてくるような気がする。
百万人の死をひとつの統計として捉えるんじゃなくて、一人の死という悲劇が百万回起こったって考えたらどうだろうと思い付いたけど、それでもやっぱり、うまく想像できないな。頭ってほんとにポンコツなところがあるよ。
難しい言葉
自分の意見や考えを発表するときに、やたらと難しい言葉ばかり使う人がたまにいるけど、それもっと簡単な言葉で言ってくれよって思うことがたまにある。でも、俺にもそういう傾向があるかもしれない。
なんでそういうことをしちまうかっていうと、別に難しい言葉を使って悦に入ってるわけじゃなくて(そういう人もいるだろうけど)、単純に難しい言葉の方がより的確に自分の考えを表してくれるからなんだ。よく使われる簡単な言葉っていうのは、意味が過度に一般化されてしまっていて、ミスリードに繋がりがちだからな。
そんな事情がありつつも、簡単な表現の中からうまく言葉を選んで、みんなに伝わるような主張をできる人が、頭のいい人なんだろう。
信用
お笑いを例に挙げれば、人を笑わせるには、「こいつは面白いやつだ」っていう、周りからのある種の信用が必要だよな。信用っていうのは取り戻すのが大変なものだから、一度つまらない奴っていうレッテルを貼られてしまうと、それを払拭するのは難しくなってしまうな。IPPONグランプリみてて思ったわ。
大勢の人は、創作そのもの自体よりも、その創作を誰が生み出したかってとこを重視するんだ。
臭いものには蓋
冷蔵庫から賞味期限が二年前に切れたもやしが出てきた。もやしって腐ると液体になるんだ。
「臭いものには蓋」なんていうけど、生活の中には臭いものが溢れていると思う。もう人生はごみ捨て場。
いや、たまに掘り出し物が落ちていることがあるってことも含めてね。
でも、基本的には臭いゴミしか落ちてない。学校の勉強も、仕事も、人間関係も、全部臭い。
そういう臭いもの全てにずっと蓋をしていると、放置されることでさらに腐敗したそれらは、蓋の隙間から悪臭を漏らしはじめて、いずれその存在は俺らにとって目を背けられないものとなる。
そこでやっと蓋を開けてみると中身はめちゃくちゃおぞましいことになってたりするんだ。
煙突
外に出てない。
煙突みたいにずっと口から煙を吐き出していたら一日が終わった。