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introspection

取り留めのない考えごとを忘れないための内省的日記

大学入試センター試験の廃止について

センター試験といえば大学入試の登竜門だ。国公立大学に進学しようと思ったら、受験生はまずこの試験を突破しなければならない。最近では私立大学もセンター利用入試を導入しているから、今の大学受験生のほとんどはセンター試験を受けることになるんじゃないかな。

俺たちにとっても思い出深いこのセンター試験だけど、どうやら2019年度入試を最後に廃止されるらしい。代わりに達成度テストなるものが実施されるらしいけど、その内容については現在のところ未定であるとのことだ。

 

センター試験廃止の目的は、学力至上主義の詰め込み暗記型教育からの脱却だそう。要するに、受験戦士のようなガリ勉を量産する現行の入試制度は捨てて、主体的に周囲と協働して目標達成できる若者を育てられるような仕組みを作りましょうってことだね。

こういう流れはべつに今に始まったものじゃない。数年前に東大や京大が推薦入試を導入したのは記憶に新しいし、各大学は入学後も机上の勉強に留まらない留学やボランティア活動のような課外活動を学生に奨励している。そして、恐らくほとんどの学生が経験することになる民間企業の就職活動においても、こうした課外活動の経験は学業成績以上に重視されている。

 

こういう流れを悪いことだとは思わない。沢山の場に足を運んで色々な人と交流することでコミュニケーション能力やら主体性といった力は確実に身につくし、ひいてはそれが人間力の向上ってところに繋がるんだろうなと思う。

 

でも、冒頭の大学入試制度改革については反対なんだ。この改革の目的は学力っていう画一的な評価基準に依らない多様な若者を育てるために提案されたようだけど、俺は逆にこの改革こそが強固な「こうあるべき規範」を作り出して、評価基準の画一化を招く気がするんだね。

 

どういうことか。少し話は逸れるけど、民間の就職活動において企業が求める人材像っていうのは、業種や職種の垣根を越えてほとんど一致している。耳タコだけど、「主体的に考え、行動できる人」とか「周囲と協働して目標を達成できる人」とか「コミュニケーション能力がある人」っていうのはほとんど全ての企業で歓迎されるね。そして、これらの人物像は大学入試制度改革によって国が作り上げようとしている若者のあり方と完全に一致している。要するに、国は教育システムを大きく変えることで、社会に適応できる若者の総量を増やしたいんだな。少子化やらニート・フリーターの増加が叫ばれてる中でこういう方向に政策の舵が切られるのは、至極妥当なことだと思う。

 

だけど、街に出たりインターネット上のSNSを観れば分かるように、この国にいるのは上で挙げたようなまともな若者ばかりじゃないんだ。その要因が彼らの内にあるか外にあるかは別として、学校に行かない奴もいるし、他人と話せない奴もいる。かくいう自分も昔はそんな感じだったね。

 

でもね、現行の大学入試制度では、そんな子たちでも試験で点数さえ取れれば大学に入れるんだ。医学部でもない限り大学入試に面接試験はないから、不登校でもヤンキーでもコミュ障でも筆記試験に合格するだけで東大にだって入れる。東大に入れば人生が変わるなんてことは絶対にないけど、少なくとも何かを変える好機は手に入るんだ。これは今の日本では他にありえないくらい平等なシステムで、落ちこぼれにとっては大きな大きな逆転のチャンスとなる。

 

しかし、冒頭の制度改革が実際に運用されれば、もはや試験で点数を取るだけではダメになってしまう。学力に加えて人間力も必要になってくるわけだからね。でも、18歳くらいまでの若者が身に付ける人間力っていうのは、親や生まれた環境に依るところがほとんどだと思うんだ。だからこそ、クソな親を持った子供にもチャンスを与えるために、現行の大学入試制度は絶対に必要だと思う。

 

最後に付け足しておくと、いわゆる高学歴クズなんて呼ばれる、勉強が出来ても人間力が皆無な奴は就職活動で淘汰されることが多いね。でも、それはもう本人の責任だ。なぜなら、就職活動を経験する22歳っていうのは、年齢だけみればもう大人だから。上手くいかないことを親や環境のせいにしていい歳じゃないんだな。このエントリを通して誤解を招きそうだと自分でも思うけど、社会に適応できない奴も認めるべきだって言っている訳ではないんだ。個人的にはそういう人がいてもいいと思ってるけど、国や社会全体の利益っていう観点からみるとやっぱりそれはまずい。そうじゃなくて、周囲にクズや落ちこぼれとして扱われている子供にも、社会で活躍する人間になれるチャンスを与えたいってことなんだ。

 

もう一度まとめると、外部の環境要因によって上手くいっていない子、もしくは上手くいっていない理由が内にあるか外にあるかまだ判断出来ないような子については、現行の大学入試のような逆転のチャンスを与えてあげようぜってことだ。それに、この制度改革によって大学が民間企業のように自由闊達で人当たりが良くて部活やボランティア活動に積極的に励む高校生のみを集めるようになったら、親や教師は確実に子供達をそういう規範のもとで縛るようになる。それではもはや、自由闊達とは真逆の子供が出来上がってしまうよな。