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introspection

取り留めのない考えごとを忘れないための内省的日記

アダルトビデオ

少年時代はAVばかり観ていた。特に高校生の頃がピークで、あの年代に活動していた企画単体女優であれば七割くらいは今でも覚えているんじゃないかと思う。そんな俺も大人になって童貞を卒業したわけだが、その時の感想を振り返れば、それは多くの男が口を揃えて言うように「ああ、こんなものか。」といった感じだった。男子あるあるだと思うんだが、高校生くらいになると友達の中で童貞を卒業する奴がちらほら現れはじめるんだよな。それでそいつらの体験談なんかを聞くと、「そんなエロいことがこの世にあっていいの?」と畏怖にも似た感情を抱くわけだ。それでも多くの男は女の子に告白する勇気がなかったり、仮に付き合えても経験不足ゆえどうやってエロい雰囲気に持ち込めばいいのか分からなかったりして、日々悶々としながら童貞なりの学生生活を終えていくんだろう。かくいう俺もそうだった。だからその後生まれて初めてセックスするときは胸が踊り血が騒いだものだけど、終わってみるとなぜか「こんなものか感」が拭いきれなくなるのだ。最近『君の名は。』という映画が大ヒットしたけれど、あれを観に行った時にも同じような感情を抱いた。俺は新海誠のファンだし、『君の名は。』はとても美しくて素晴らしい作品だと思ったんだけど、やっぱり前評判で期待しすぎてしまったのかなと感じる。自分が体験する前に良い評価や評判などをたくさん仕入れてしまうと期待値のハードルがあまりにも高くなってしまって、そのハードルは往々にして越えられることがないんだな。

 

大人になると風俗に行けるようになったり、お酒を飲めるようになったりといったことでセックスのハードルはぐんと下がる。俺の場合は変に潔癖なところがあってそういう遊びはあまりしてこなかったんだけど、普通の男はまあそのへんうまくやってるんだろう。しかし思うのだけれど、やっぱり俺はセックスをするよりAVを観る方が好きだ。AVはセックスを切り取った複製みたいなものかもしれないけど、複製だって長い時間をかけて触れ続ければ、その人にとっては本物よりも親しみ深いものになるだろう。それにAVとセックスには決定的な違いもある。相手の有無だ。やはりセックスには相手がいて、その相手は自分と同じように人格を持っていてものを考えたりする。これは尊くて素晴らしいことだけど、一方で煩わしさやままならなさのようなものも俺は感じる。うまくいえないけれど、例えばみんなが画家だったとして「自分の思うもっとも美しい情景を描こう」と考えた時に、その絵を他の画家と共同で描いたりするだろうか。自分の頭の中にある美しさを描き出そうという所に、他者の頭の中にある美しさが混ざってきてしまえば、もう自分が描きたかったものはぼやけてよく分からなくなってしまうだろう。基本的に物事は人が沢山集まった方が良い方向に転がるものだけど、一方でこういう自己完結的な行いでしか実現できないことっていうのも世の中にはあるんだ。AVとセックスについても俺はそんなことを思ったりするよ、伝われ〜。