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introspection

取り留めのない考えごとを忘れないための内省的日記

今夜もまた酔っ払ったのでこうしてブログを書こうと思った訳だ。ご存知のことだと思うが、自分語りのような日記はなかなか素面で書けるものではない。理由は至極単純なもので、恥ずかしいからだ。そう、俺は酒がとても好きでよく人と飲みに行ったり、時には自分一人で飲むこともよくあるんだ。人により意見の分かれることだと思うが、俺にとっての酒の良さとはつまり、酒を飲むことで考えなくても良いことを考えずにいられるようになるという点に尽きる。根があまり社交的な方ではないから、普段は人と会話をしていても自分の発言が相手にどう受け取られるかとか、何か気の効いた面白い返しをしなくてはとか、色々と余計なことを考えてしまうんだな。引っ込み思案な子供だった俺はきっと物心ついた時からこういったスタンスで人と会話をしていたのだろう。何だって二十年弱も同じことを続けていれば、それは強固に習慣化され頭を悩まさずとも身体が勝手に動いてくれるようになる。何十年も水泳を続けてきた人間がわざわざ息継ぎのタイミングがどうとか考えずとも自然と綺麗な泳ぎが出来るのと同じように、俺だって人と会話する時には意識的に言葉を選ばずとも自然と最適解のようなものが口から零れてくる。だから俺と初めて出会った人は概ね「明るい人」だとか、「おしゃべりな人」といった評価を俺に下してくれるんだ(もっとも、深く付き合えば付き合うほど根暗な部分が知れていってしまうのだけれど)。でも、もちろんそれは俺が本当に話したい内容では無かったりする訳で、そんな風にいつも殻を被って人と接するような真似をしていると、やっぱり疲れてしまう。だから酒を飲むと、自分でもびっくりするほど人と本心で会話することができてちょっと嬉しかったりするんだな。

 

でも、酒だって万能じゃない。これは借金と似ていて、酒を飲むことによって得た楽しさは後で憂鬱を味わうという形で返済しなければならないような気がするんだ。医学的なことは全くわからないけど、楽しく飲んだ次の日に理由はなくとも気分が落ち込んだりすることはないだろうか。特に俺みたいに普段は殻に籠っている人間が酒の力を借りて柄にもなくはしゃいでしまうと、後で自己嫌悪に苛まれることになるんだ。周りの人は意外となんとも思ってなかったりするのだけど。エネルギー保存の法則みたいに、楽しさと憂鬱の収支はいつだって釣り合うようになってるのかもしれない。