introspection

取り留めのない考えごとを忘れないための内省的日記

努力と忍耐

「頑張る」という動詞がある。
広辞苑によれば、忍耐して、努力し通す。という意味の動詞らしい。
つまり、「頑張る」という動詞は「忍耐」と「努力」という二つの要素から成っている。

上に出てきた忍耐と努力って似た単語のようだけど、実は全然違うものなんだ。これもまた広辞苑によれば、努力とは、目標の実現のために心身を労してつとめること。忍耐とは、つらさ・苦しさ・怒りをじっと我慢すること、とある。

広辞苑が説明してくれているように、努力には目標の実現のために必ず思考が伴うのに対して、忍耐には思考が伴わない。だから努力は人間に成長をもたらすけど、忍耐はそうじゃない。それどころか、思考を殺して苦痛に耐え続けることによるストレスで、退化をもたらすことすらある。(何故か日本では体育会文化にみられるように忍耐が美徳とされる風潮があるけど。)

これは残念なことだと思うんだけど、努力と忍耐を履き違えている人がとても多い。例えば、部活動。同じだけ頑張ったのに、結果を出せるやつと出せないやつがいる。結果を出せなかったやつは「俺だってあいつと同じくらい、いやそれ以上頑張ったのに。」と思うかもしれない。ちょっと前の俺だ。でも、結果を出せなかったやつは根本的に頑張り方を間違っちまってたんじゃないだろうか。もちろん才能の差、環境の差、色々あるだろうけど、俺の周りでスポーツで偉大な結果を残していた人間は皆、思考できる奴だったように思う。

思考できない人間は義務教育が終わってからは、どんどん淘汰されていく。幸いなことに、この国には思考できない人の受け皿があるけど、そこに収まるのは惨めなことだと思う。生まれつきの頭の良し悪しじゃない、どれだけ訓練したかなんだ。だから、努力しよう。分かりやすくいうと、目標を定めて、その実現に至るプロセスを自分の頭で練り上げて、それを実行しよう。と、自分に言い聞かせています。