ポケモン
ポケモンの新作を買った。発売日に秋葉原のヨドバシに行ったんだけど、夜になってもまだかなりの行列が出来てたな。駅の改札を出た所でもポケモンセンターのブルゾンを着た人が告知ビラを巻いてたし、気合が入っているなという印象だった。
今作はストーリーがとても長いとのことなので、まあじっくりまったりやっていこうという感じだ。昨日少しプレイして気付いたのだけど、ジムリーダーは廃止になってしまったんだね。それと、前作までのひでん技もライドポケモンと置き換わる形でなくなっていた。昔からあるシステムが変わっていってしまうと少し寂しい気はするけど、それでも古くからのユーザーならピンとくるようなネタを散りばめてくれている所がいいね。最近あまり時間が無いからガッツリ対戦、みたいなことは出来ないかもしれないけど、もし周りに買った人がいたら一緒に遊ぼうね。特に俺はサンを買ったので、ムーンの人がいたらぜひ。
鑑賞
こないだの土日、あまりにも暇だったので録画していた『Re:ゼロから始める異世界生活』のアニメを一気に観た。全25話のアニメなので、1話あたり30分としても単純計算で全て観るには13時間かかる。土曜日の夕方から観始め、途中1時間の仮眠をはさみ次の日の朝8時頃には観終わった。題材も良いし何よりもキャラが可愛くて楽しい作品だった。しかし最終話が引きの強い終わり方だったせいで続きが気になってしまい、Web「小説家になろう」で公開されている原作を読みあさっていたら休日が終わった。食べ物を何も口にいれずお茶と煙草だけで過ごした休日だった。
それにしても「小説家になろう」というサイトには時々とても面白い作品を書く素人作家がいるわけだが、みな共通して文章が冗長過ぎやしないだろうか。なまじ話が面白い分そういった冗長さに目を瞑り読み切ってしまうものだから、読了までにあまりにも多くの時間をかけてしまうことになる。これは限られた時間の中でできる限り多くの作品に触れたいと考えている私にとっては不都合なことなのだが、何故だかWeb版原作の文章が簡略化された文庫版を読むと「あれ、なんとなくWeb版のがいいな。」と思ってしまうのだ。自分がその作品の一体どんな部分に良さを見出しているのかということは、時に自分自身にも分からなかったりするということだ。
時々このように作品の一気観や一気読みをする度に思うが、面白いと感じた作品を鑑賞する時の私の集中力たるや常人離れした所があると自画自賛したくなる。ひどい時には休日を丸々使って20時間以上連続で作品を鑑賞し続けるものだから、疲れ果てた脳を休めようと眠りについても夢の中でまたその作品を鑑賞していたりする。時には夢の中で作品の世界の中に迷い込んでしまうことすらある。そして眼が覚めればまたその作品を鑑賞したくなり、来る日も来る日もすべきことをそっちのけで作品を鑑賞し続け、遂にその作品が完結を迎えてしまった時には親しい誰かが突然自分のそばから居なくなってしまったかのような空虚感をおぼえる。そんな心に穴が空いてしまったような状態から抜け出すのには少しばかり時間がかかる。概ね1週間から2週間といったところだろう。つまり一つの作品の鑑賞に1週間をかけ、読了後のロスから復帰するのに2週間をかけるとすれば、私はその作品に3週間もの間心のすべてを捧げているということになるのだ。これは作者冥利に尽きるというものではないだろうか。このエントリを丸ごとファンレターとして好きな作家に送りたいものである。
教育と人格形成とスパイラル
小学生の頃、顔がかっこよくてスポーツ万能で成績も優秀というような完璧なやつが居たよな。その逆に顔は醜くて運動も勉強も出来ないようなやつも居たと思う。恐らく日本中どの小学校のどのクラスにだってそういう奴らは居るんじゃないだろうか。
矢印
いいことも悪いことも、自分の行いとは関係のない何かによってもたらされるものと考えれば、気が楽になる。でも、そんな考えの先に進歩はない。
カリスマ
退化
何よりも怖いのは分からないことじゃない、分からなくなることなんだ。