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introspection

取り留めのない考えごとを忘れないための内省的日記

株式会社ポケモンの採用選考を受けた

前のエントリでも触れたけど、自分にとってポケモンっていうのは中々思い出深いコンテンツなんだ。小学生の頃は本気でポケモンを作る側に回りたいって思っていたな。まあ、それから紆余曲折あって今の自分はゲームクリエイターとは無縁の道を歩んでいるわけだけど。。

今年の就活解禁日に合同説明会を適当にぶらぶらまわっていた時「株式会社ポケモン」の名前を見つけた。株ポケといえばなんだかアコギな商売をしている会社っていうイメージで、一ポケモンファンとしてあまり好意的な印象は抱いてなかったんだけど、とりあえず話くらいは聞いてみようと思って説明会に参加してみたんだ。

話を聞いてみて、色々とびっくりすることがたくさんあった。中でも、ここまで大きく育ったポケモンというコンテンツビジネスを140名程度の社員で支えているのはすごいな、と。もし新卒でこの会社に入れば自分個人としてもかなり成長できるんじゃないかと思ったし、何よりも小学生時代に描いた夢を叶える最後のチャンスかもしれないと感じたんだ。

 

そんなこんなで株ポケの選考を受けたわけだけど、こんな前置きはどーでもよかったね。この会社、選考に関する情報が極端に少なくて自分もとても困った。こういう記事をネットに書くのはあまりよくないのかもしれないけれど、詳細な部分については適宜伏せつつ今年の選考情報をまとめてみたよ。来年度以降株ポケを受ける人はぜひ参考にしてみてね。ちなみに、自分の最終的な結果は伏せておくことにするけど、まあ察してくれよな。

 

一次選考・書類審査

今年度のエントリーシートの設問は下記の三つ。

 

1. あなたの会社選び・仕事選びの基準とその背景を教えてください。

2. 学生時代最も力を入れたことについて具体的なエピソードを交えて教えてください。

3. 最近注目している商品・サービス・プロモーション等で面白いと思うものを1つ以上、最大3つまで挙げその概要となぜ面白いと感じたかを教えてください。

応募方法 | 募集要項(新卒) | Pokémon Business Professionals : 株式会社ポケモン採用情報

 

1と2はオーソドックスな設問なので、ESの作法に従って書けば特に問題はないね。3に関しても広告やマスコミ、エンタメ系の企業ではよく見かける設問だ。ビジネスとしての新規性や独自性に着目して選ぶと理由付けもしやすいのかなと思う。ちなみに、設問3に関しては後々の面接で結構掘り下げて聞かれるから、単に流行っているからという理由で自分のよく知らないものを取り上げるのはやめておいた方がいい。

 

内容については上述の通り特に難しいものではないけど、この会社のエントリーシートはフォーマットや文量が自由なんだ。ここはすごく難しいところだけど、読み手の立場に立って書くことを第一に色々と工夫してみるしかないね。あとはもう各々のセンスなので、腕の見せ所だと思ってがんばって。

 

たぶん受験者の半数以上は書類審査で落とされているので、それなりに力を入れて書いた方がいい。

 

二次選考・筆記試験 (SPIテストセンター)

英語や構造把握はナシ。一般的な言語・非言語・性格のSPI3。足切り点があるのかは分からないけど、あったとしてもかなり低いんじゃないだろうか。一般入試で大学受験した人なら特に問題なさそう。

 

三次選考・集団面接

人事2名対学生3名の集団面接。時間は50分程度あるので、集団面接といえどそれなりに深堀りはされる。質問は「自己PR」「学生時代頑張ったこと」「ポケモンで成し遂げたいこと」の3つ。集団面接というと普通に会話ができれば通る印象があるけれど、前述の通りこの会社はこの段階からかなり深堀りして聞いてくるので油断禁物だね。

 

四次選考・個人面接 / 企画書課題

現場の部長クラスの社員2名と個人面接。時間は1時間程度とかなり長い。基本はESに沿って質問されるけど、一部変化球的な質問がくる。自分が印象に残っているのは「あなたの一番好きなポケモンを使った新規ビジネスを今ここで考えてください。」というものだった。雰囲気は和やかだけど、質問や指摘はかなり鋭いので付け焼き刃だと通用しない。企画書課題の詳しい内容については書けないけど、ゲーム会社のプランナー選考で課される課題と似たようなものだ。こういうのはもうアイデア勝負だけど、その中でもビジネス視点や論理性を忘れてはいけないね。ただし、個人的に思うのは、この手の企画を考えるときは絶対にロジックから入るべきではないってことだ。論理的な妥当性やビジネスとしての採算性なんかは後から考慮して企画を変形させていけばいいわけで、まずは自分が「これは面白い!」と感じた直感を頼りにした方がいいんじゃないかな。そもそも就活生はビジネスのプロではないわけだから、ロジックベースのカタいアプローチをとるとどこかハリボテ感の拭えない凡庸な企画が生まれちゃうと思うんだ。

 

五次選考以降・個人面接

ここからは役員クラスの社員数名と個人面接になる。この会社は面接の回数が人によって違うので、選考の終わりが中々見えない。最短だと4回目の面接で内定が出るみたいだね。ちなみに、人によるかもしれないけれど、役員面接からはすこし圧迫気味になるので、こちらの言うことを全否定されても決して泣いたり逆ギレしたりしないように。。参考までにだけど、株ポケに限らずBtoCの会社っていうのは「御社の製品やサービスが好きで〜」みたいな志望動機を嫌う傾向がある。「好きだからやりたい」っていうのは恋愛にも通ずる人間として当然の心理だし、志望動機なんてのは突き詰めればこの一点に集約されるものだと思うけれど、プラスワンでもう少し踏み込んで「何がやりたいか」とか「どうして好きか」とか「どうしてやれると思うか」って所まで考えないと面接官には納得してもらえないかもしれない。

 

まとめ

この会社には外資コンサルティングファームリクルートのような人材輩出企業出身の社員が多い。そういう人たちは学生から見てもやっぱりすごく優秀なわけだけど、そんな優秀な中途社員がたくさんいるのにどうしてわざわざキャリアのない新卒なんか採るんだろうっていう疑問がここで浮かぶね。このことについてよく考えてみると、株ポケが新卒に期待しているものが少し分かってくるのかもしれない。

倍率についてはこれから受験する人にとってあまり有意義でない情報だからここでは書かないけど、そこまで気張らずに内定もらえたら超ラッキーくらいの感覚で臨んだ方がいいかもしれないね。それに、最終的な結果はどうあれ、就活初期にこういう自分をしっかり見てくれる会社の選考を受けると、きっとその経験は後々の糧になってくると思うんだ。

大学入試センター試験の廃止について

センター試験といえば大学入試の登竜門だ。国公立大学に進学しようと思ったら、受験生はまずこの試験を突破しなければならない。最近では私立大学もセンター利用入試を導入しているから、今の大学受験生のほとんどはセンター試験を受けることになるんじゃないかな。

俺たちにとっても思い出深いこのセンター試験だけど、どうやら2019年度入試を最後に廃止されるらしい。代わりに達成度テストなるものが実施されるらしいけど、その内容については現在のところ未定であるとのことだ。

 

センター試験廃止の目的は、学力至上主義の詰め込み暗記型教育からの脱却だそう。要するに、受験戦士のようなガリ勉を量産する現行の入試制度は捨てて、主体的に周囲と協働して目標達成できる若者を育てられるような仕組みを作りましょうってことだね。

こういう流れはべつに今に始まったものじゃない。数年前に東大や京大が推薦入試を導入したのは記憶に新しいし、各大学は入学後も机上の勉強に留まらない留学やボランティア活動のような課外活動を学生に奨励している。そして、恐らくほとんどの学生が経験することになる民間企業の就職活動においても、こうした課外活動の経験は学業成績以上に重視されている。

 

こういう流れを悪いことだとは思わない。沢山の場に足を運んで色々な人と交流することでコミュニケーション能力やら主体性といった力は確実に身につくし、ひいてはそれが人間力の向上ってところに繋がるんだろうなと思う。

 

でも、冒頭の大学入試制度改革については反対なんだ。この改革の目的は学力っていう画一的な評価基準に依らない多様な若者を育てるために提案されたようだけど、俺は逆にこの改革こそが強固な「こうあるべき規範」を作り出して、評価基準の画一化を招く気がするんだね。

 

どういうことか。少し話は逸れるけど、民間の就職活動において企業が求める人材像っていうのは、業種や職種の垣根を越えてほとんど一致している。耳タコだけど、「主体的に考え、行動できる人」とか「周囲と協働して目標を達成できる人」とか「コミュニケーション能力がある人」っていうのはほとんど全ての企業で歓迎されるね。そして、これらの人物像は大学入試制度改革によって国が作り上げようとしている若者のあり方と完全に一致している。要するに、国は教育システムを大きく変えることで、社会に適応できる若者の総量を増やしたいんだな。少子化やらニート・フリーターの増加が叫ばれてる中でこういう方向に政策の舵が切られるのは、至極妥当なことだと思う。

 

だけど、街に出たりインターネット上のSNSを観れば分かるように、この国にいるのは上で挙げたようなまともな若者ばかりじゃないんだ。その要因が彼らの内にあるか外にあるかは別として、学校に行かない奴もいるし、他人と話せない奴もいる。かくいう自分も昔はそんな感じだったね。

 

でもね、現行の大学入試制度では、そんな子たちでも試験で点数さえ取れれば大学に入れるんだ。医学部でもない限り大学入試に面接試験はないから、不登校でもヤンキーでもコミュ障でも筆記試験に合格するだけで東大にだって入れる。東大に入れば人生が変わるなんてことは絶対にないけど、少なくとも何かを変える好機は手に入るんだ。これは今の日本では他にありえないくらい平等なシステムで、落ちこぼれにとっては大きな大きな逆転のチャンスとなる。

 

しかし、冒頭の制度改革が実際に運用されれば、もはや試験で点数を取るだけではダメになってしまう。学力に加えて人間力も必要になってくるわけだからね。でも、18歳くらいまでの若者が身に付ける人間力っていうのは、親や生まれた環境に依るところがほとんどだと思うんだ。だからこそ、クソな親を持った子供にもチャンスを与えるために、現行の大学入試制度は絶対に必要だと思う。

 

最後に付け足しておくと、いわゆる高学歴クズなんて呼ばれる、勉強が出来ても人間力が皆無な奴は就職活動で淘汰されることが多いね。でも、それはもう本人の責任だ。なぜなら、就職活動を経験する22歳っていうのは、年齢だけみればもう大人だから。上手くいかないことを親や環境のせいにしていい歳じゃないんだな。このエントリを通して誤解を招きそうだと自分でも思うけど、社会に適応できない奴も認めるべきだって言っている訳ではないんだ。個人的にはそういう人がいてもいいと思ってるけど、国や社会全体の利益っていう観点からみるとやっぱりそれはまずい。そうじゃなくて、周囲にクズや落ちこぼれとして扱われている子供にも、社会で活躍する人間になれるチャンスを与えたいってことなんだ。

 

もう一度まとめると、外部の環境要因によって上手くいっていない子、もしくは上手くいっていない理由が内にあるか外にあるかまだ判断出来ないような子については、現行の大学入試のような逆転のチャンスを与えてあげようぜってことだ。それに、この制度改革によって大学が民間企業のように自由闊達で人当たりが良くて部活やボランティア活動に積極的に励む高校生のみを集めるようになったら、親や教師は確実に子供達をそういう規範のもとで縛るようになる。それではもはや、自由闊達とは真逆の子供が出来上がってしまうよな。

俺とポケモン

子どもの頃は身体が弱くて、病院に入ることがよくあったんだ。入院すると俺は大抵同年代の子どもたちと同じ病室に入れられるんだけど、当時はあまり人と話をするのが得意じゃなくて、他の子どもたちが皆で仲良く遊んでいる時だって俺は「日本の鉄道車両図鑑」みたいな本を一人で読んでいたんだな。そんな俺を見かねたお父さんが、ある日俺にゲームボーイをプレゼントしてくれたんだ。「ポケモンピンボール」というカセットと一緒にね。これが俺のゲームとの、またポケモンとの出会いだったな。ゲームボーイを持っている子どもは当時そこまで多くなかったから、俺はたちまち病室の人気者になることができた。

 

そんなこんなで、退院してから小学校に上がるまで俺はずっとポケモンに夢中になっていた。「ポケットモンスター金銀」が発売されたのもちょうどこの時期だったかな。実は「金銀」は小さな子どもにとって中々難易度の高いゲームで、一人で攻略することが出来なかった俺はよくお父さんの力を借りていたんだ。ワタルを倒したのもレッドを倒したのも、お父さんだったような気がするな。俺はそれを脇から見て、「すげー!」って言ってるだけだった。

 

小学校二年生の夏休みに両親が離婚して、お母さんに引き取られた俺は今までと別の小学校に通うことになった。その時も引っ込み思案な性格が災いして、俺は転校早々クラスの中で孤立してしまっていたんだ。だから俺は学校が終わるとすぐに家に帰って、お母さんが仕事から帰ってくるまで一人で昔お父さんがクリアしてくれた「金銀」をプレイしていた。当時のことを思い出すと、子どもながらに中々辛いことが多かったような気がするよ。大人になってから母親に聞いた話だけど、当時の俺はストレスで軽度のチック症を発症していたらしいんだ。チック症というのは何も知らない周りの子どもたちからみると少し気味が悪く見えてしまうものだから、そういったことも俺に友達が出来ない一因になっていたのかもしれないね。

 

その後転校して二ヶ月が過ぎた頃だったかな、ポケモンの新作「ポケットモンスター ルビーサファイア」が発売された。ルビサファは俺が持っていたゲームボーイじゃプレイ出来ないソフトだったんだけど、どうしても新作のポケモンで遊びたかった俺はお母さんにお願いして新しいハードとソフトを買ってもらったんだ。離婚してからうちはもうめちゃくちゃ貧乏だったから、きっとそれは当時のお母さんにとって大きな出費だったと思う。それでも、お母さんは嫌な顔ひとつせずに買ってくれたな。今でもお母さんと一緒にゲームボーイアドバンスルビサファを買いに行った日のことはよく覚えているよ。ゲームボーイアドバンスは地元のおもちゃ屋ですぐに買えたんだけど、ルビサファは当時ものすごい人気で、どこのおもちゃ屋でも売り切れになってしまっていたんだ。結局発売日にはソフトを手にいれることが出来なくて、俺はその日めちゃくちゃ泣いてお母さんに当り散らしたんだよ。すると翌日、仕事から帰ってきたお母さんはお土産だよ、といって俺に「サファイア」をプレゼントしてくれたのさ。きっと仕事が終わったあと、車で市外の大きなおもちゃ屋まで出て買ってきてくれたんだろうね。疲れてただろうに、ありがたい話だよ。

 

それから俺は友達と外で遊んだりせずにずーっと一人でポケモンをやっていたから、ポケモンに関する知識は誰よりもあった。クラスメイトからのポケモンに関する質問に答えてるうちに、いつしか俺はクラスのポケモン博士と呼ばれるようになって、それがきっかけで何人かの友達も出来るようになったんだ。そう、こうしてふと昔のことを思い出すたびに、俺はポケモンとお父さんとお母さんに感謝しなければならないなあと思うわけだね。

分節

自分の考えを文章に書き起こすというのは、時に難しいことだよ。こうしてほとんど泥酔しているような場合では特にね。でも、極力伝わりやすいよう、誤解のないように書くことはいつだって心がけている。

さて、自分以外にこの世界に存在する他者が自分と同じように思考し、意思決定を行う人間だと仮定すると(敢えて仮定というのは、例えば自分以外の人間がゲームのNPCのような存在でないことを、我々はもちろん証明できないからだね)、我々がこの世界で生きていくには分節という作業が必要不可欠になる。分節ってのは文字通り、ケーキをカットするみたいに物事を分けることだな。これとこれは分ける、これとこれは分けない、そんな風にあらゆる物事を分節していかなければ、我々はこの世界で自我を持って生きていくことは出来ないわけだ。

つまり、自分と他人をしっかり分節していないと、当然の帰結として自分ってものはなくなっちゃうんだな。焼酎と烏龍茶を混ぜてしまった後で、そこから烏龍茶だけを抽出することができないようにね。

まあ、そんなに深く考えなくてもほとんどの人間は分節を生得的な観念として身につけている。だから何も心配はいらないんだ。でもね、俺もみんなも生きていれば混ざり合いたいほどに愛おしい他者に出会うことがあるかもしれない。困ったことに、そんな時だって我々は自分と他者を分節せずにはいられないんだよ。なぜなら分節こそが自分を自分たらしめる唯一の手段だからだ。つまり、自分とは「他者ではないもの」でしかなくて、それ以外に自分を定義するものはまあ恐らく何もないわけだよ。あったら教えてね。

だから、まともなやり方をしている限りにおいては、基本的に人と人は交われない。考えてみれば、こうして言葉にするまでもないあまりにも当然なことなのだけど、このことを孤独と感じてしまうことがあるかも分からないね。ままならないことだ。だけどね、何も交わらなくたって隣に置いておくくらいのことは出来るわけだよ。それで妥協するのはどうだろう?そもそも分節している自分自体いつなくなってしまうか分からないのだから、交わることに固執する必要も、時間もないと思うんだ。

育ち

俺も小さい頃はそんなに幸せな家庭で育ったわけではなかった。だからなのかは分からないけど、初対面の人と話した時に「なんとなくこの人も特殊な育ちをしたのかな」と察してしまうことがある。必ずしも当たるとは限らないけど、打率八割くらいは維持しているんじゃないだろうか。

 

もちろん自分も含めてだけど、特殊な育ちをした人っていうのはなぜだか人間的に薄っぺらくみえてしまうことがあるんだ。気を悪くしないでほしいな。俺が自分の薄っぺらさに常日頃辟易していて、自分とよく似た他人にその嫌悪感をぶつけてしまっているだけかもしれない。だから全員が全員薄っぺらいなんていうつもりはないんだ。ただそんな人が割合に多いような気がして。

 

どうしてそんな印象を抱くのか?俺自身の内省も含めてちょっと考えてみたよ。たぶんだけど、特殊な育ちをした人っていうのは子供の頃に周りの人間の顔色を伺ってきたことが多かったんじゃないだろうか。いや、そうせざるを得なかったともいえるね。俺も小さい頃はいつも家庭内の空気を察知して上手く両親の気持ちを慮っていたな。そうしないと夫婦喧嘩に巻き込まれたり、思わぬとばっちりを食らうことがあったからね。前にも何かのエントリで書いた気がするけど、長く続けている習慣っていうのは大人になっても頭に強固に刻まれ続けるようだ。今となっては必要以上に他人に気を遣う必要なんて全く無いのに、昔の癖が抜けずに俺も大変困っている。

 

そんな風に自分以外の人間ばかり見つめて行動を決定していると、自分はどんどん他者からみて好ましく、害のない存在に適合化されていってしまう。同年代の子たちが彼ら自身と向き合ってアイデンティティを確立していく中、俺たちはいつだって人の顔色ばっか伺ってたんだ。だから大人になった時、アイデンティティの土台がしっかりと確立されている彼らとの間にはとても大きな差が開いてしまうんだな。

 

つまり人間的な薄っぺらさっていうのは、確固とした自己というものの欠如がもたらすものなのかもしれないね。小さい頃に苦労した分、経験値を与えてレベルアップさせてくれればいいのに、なんて思うけどな。どうやら小さい頃の苦労は、レベルアップどころかレベルダウンを招いてしまうらしい。乾いた笑いが出てきちゃうね。

潔癖

潔癖症というほどでもないんだけど、ちょっとした不潔に過敏なところがある。不潔といっても、自分のものなら大丈夫なんだ。そこまで散らかすことはないけど、自分の部屋が汚かろうがそこまで不快には感じないし、変な話、鼻水とか唾液みたいな自分の体液を触ってもなんとも感じない、まあそりゃそうか。汚い、って感じてしまうのは他者の介在があったときなんだ。そもそも、俺自身はそんなに綺麗好きな方ではないからね。他者の介在っていうのは、例えば、水筒の回し飲みとか、一つの皿に盛られた料理をみんなで箸でつついたりするああいうのだ。

 

しかし最近気付いたけれど、親しい人とであれば、回し飲みも直箸も別に不快には感じない。あまり慣れていない人だったり、どこか清潔感のない人だなあと感じている相手だったりすると、ちょっと不快になっちゃうね。そして全く知らない初対面の相手だと、不潔に感じる行為がぐんと多くなる。咳とか鼻をすする音とか咀嚼音とか頭をポリポリする音とか、そんなのですら嫌な気分になるし、生理的嫌悪感を感じる相手だと、喋り声や笑い声を聞くだけで嫌な気分になっちまう。

 

お前は一体何様なんだよって話だと思うけど、俺も治したいなあと思ってる。というのも、俺がこんな風に初対面の人にどこか不潔感を感じていることは、間違いなく相手にも伝わっているんだ。でも、それが原因で嫌われちまったら思われたら悲しいじゃないか。

 

前に、セックスよりAVの方が好き、みたいなことをブログで書いたけど、それは単にこういう理由によるものなのかもしれない。要するに、人と粘液が触れ合うような清潔と言い難い行為は、俺にとってはとてもハードルが高いんだ。そのハードルを超えるには、そんな不潔感すら快いと感じるような人が相手である必要がある。つまり、しっかり付き合っている恋人だね。お酒の勢いで一夜の付き合い、なんてのは俺には到底無理な話だ。もしそんなことになっても、きっと上手くいかないと思う。とっつきにくいとは思うけど、事実上浮気をすることが不可能である所は美点だと思わないか?

 

ちなみに、悪や過ちを許さない性格のことも潔癖と呼んだりするね。俺は精神的な面に関しては全く潔癖ではないなあ。悪や過ちもあって仕方ないと思うし、時には自分も犯してしまうことがあるからな。物理的な潔癖よりも、精神的な潔癖の方が生きにくそうだ。

女の子

たまーに心がエグいくらい綺麗な女の子や、容姿がエグいくらい素敵な女の子がいるね。綺麗とか素敵っていうのは少し表現が足りなくて、そういう人に接すると、言うなれば神に触れたように幸せな気持ちになるんだよ。なぜか男にはそういう感情を抱いたことはないね。

でも、この子も俺や皆と同じ人間なんだよなあと思うと、とっても悲しくなるんだな。心がどんなに綺麗な女の子でも、彼氏より好きな男が出来れば浮気をするかもしれないし、極限まで飢えれば人だって殺しちゃうんだろう。容姿がどんなに素敵な女の子も、いずれはおばあさんになり、灰になっちまう。

ポケモンの美しさを保つために生きたまま彼らを氷漬けにした人物がサンムーンに登場したけど、そんなことをする人の気持ちが分からなくもない。無粋なことだとは知りつつも、いずれ醜くなってしまうのは分かってるわけだから、どうにかして美しい現在の形を切り取って保存したくなってしまう。これは別に女の子に限らず、家族や友人や視覚的な風景、あとは自分自身にも同じことが言える。けれども人間を氷漬けにすることは出来ないから、せめてそれを美しいと感じた時のことを思い出せるように文章を書いたり、写真をとったりするようになったのかもしれない。

かわいい女の子、同じ人間なのは分かってるんだけど、人の悪口なんて言わないんだろうとか、うんこなんてしないんだろうとか、変な期待をしてしまいがちだなあ。