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introspection

取り留めのない考えごとを忘れないための内省的日記

無題

とある企業のワークショップで早退をかましてしまった。

 

指定された席に座って企業の方による会社の説明を聞いていると、突然強烈な不安感に襲われた。それは見渡す限りの景色が黒のリクルートスーツを着た就活生で埋め尽くされていたからかもしれないし、ひょっとしたら理由なんて何も無かったのかもしれない。とにかく、その不安感のせいで俺はとても大人しく座って話を聞いていることは出来なくなってしまったんだ。暑くもないのに額からは汗が垂れ落ちてくるし、落ち着きなく身体のどこかを動かしてしまう。流石にまずいと思って、一度トイレに行くと企業の方に伝えて建物の外に出たんだ。ビルの外には灰皿があったから、良くないと思いつつも俺はそこで煙草に火をつけた。吐き出す煙と一緒に訳のわからない不安感も出て行ってしまったような気がして、俺はそれでだいぶ落ち着くことが出来たんだ。

 

でも、もう一度部屋に戻って着席すると、またすぐに強烈な不安感をおぼえ、身体中から脂汗が吹き出てきた。側からみると俺の姿は異常にみえたんだろうな。企業の方が「顔、真っ青ですけど体調大丈夫ですか?選考とは関係ないので無理しなくても大丈夫ですよ。」と声をかけてくれた。体調は何も悪くなかったのだけれど、このままこの場所に居続けることは出来ないと判断して、途中退席させてもらったんだ。

 

建物のエントランスまで俺を送ってくれたスタッフの方は、俺をとても気遣ってくれた。

 

「せっかく来てくれたのに残念だったね、体調は大丈夫?」

「はい、ちょっとお腹が痛くて。このような貴重な機会を頂いたのに申し訳ございません。」

 

嘘をついた。本当はお腹なんて痛くない。

 

「だいぶ辛そうだったもんね、変なものでも食ったの?」

「バレンタインのチョコを食べたので、何か盛られていたのかもしれないです。」

 

また嘘をついた。本当はバレンタインチョコなんて貰ってない。

 

俺の軽口にスタッフの方は笑ってくれて、心配いらなそうだね。選考の時は体調に気をつけるんだぞ。と言って俺の背中を叩いてくれた。そう、このように人と話すのが苦手な訳ではないのだ。大勢の人の前で何か発表するのも、得意な方だと思う。それなのに時々こういうことが起きる。

 

今までも何度か同じようなことがあった。前兆はあって、こういうことが起きる前には必ず食欲が無くなって体重が5キロ以上落ちる。疲れだと言われればそうなのかもしれない。昔は薬に頼ったこともあったけど、なんだか根本的な解決にはならないような気がして、勝手に辞めてしまった。

 

本当は絶望的に社会に向いてないってことも、自分ではよく分かってるんだ。でも、出来ることは精一杯やる必要がある。そうしないと、俺はきっと将来後悔するようなことが起きた時に、人のせいにして逃げてしまうからだ。

 

本当はこんなことを誰が見ているか分からないインターネットに書くことは良くないんだけど、なんだが自分は今日嘘しかついていないと思って、どうしても本当の気持ちを誰かに聞いて欲しくなってしまった。この記事、明日には消すと思う。 

経験

普通、極度に内省的な性格はクソの役にも立たないものだけれど、新卒の就職活動に際しては例外的にこれが活かされるようだ。就活のエントリーシートで一番多くみられる質問としては「自己PR」と「学生時代に頑張ったこと」の二つが挙げられるだろう。就活を経験した人、もしくはいま現在就活を行なっている人はよく分かると思うけれど、こういった質問は単に事実を羅列して答えればいいというものではない。簡潔にいえば、この質問の中で暗に問われているのは、就活生が学生時代の経験を通して、一体何を見て、何を考えて、何を得てきたのかということなのだ。

 

何も考えずに生きている人間なんて実際の所ほとんど居ないのだから、ほとんどすべての人が人生の要所で頭を悩ませて、なんとか苦難を乗り越えてきたのだろうと推測できる。その経験は二つの条件さえ満たせば、必ず他のことにも活かされると思うんだ。

 

条件とは。一つは、その経験に際して生まれた思考を一般化して転用可能な形にすることだ。どういうことかというと、例えば、受験勉強を頑張って第一志望の大学に合格した経験や、部活に打ち込んで全国大会で優勝した経験が自分にあったとする。これらの経験に際して生まれた思考のオリジナルの形は、きっと「受験まであと一年あるから、暗記科目は直前期に回して今は伸びるのに時間のかかる数学を勉強しよう」とか「大会一週間前までは徐々に強度を上げた追い込み練習をして、一週間を切ったらテーパリングに入ろう」というような、具体的で個別的なものだろう。このままの形では、この思考は他のことに転用することが出来ない。しかし、これらを演繹的に一般化すると「目標から逆算して筋道を立てて行動する」という他のことに転用可能な一つの思考が生まれる。これが、生まれた思考を一般化して転用可能な形にする、というプロセスだ。

 

二つ目の条件はとてもシンプルだ。それは、自分の経験したことを決して忘れないということ。過去の経験や、その時の自分が考えていたことというのは、後になってからだと中々思い出せないことが多い。日々忙しく過ごしていれば、自然と後ろを振り返る機会は少なくなってきてしまうからね。そこで有用なのが、ブログだと思うんだ。

 

このブログを始めて二年が経った。ブログというのは、何処どこに行きましたとか、何々を食べましたとか、そういうことを書くのが普通だと思うのだけれど、このブログではいつも自分の考えていることをずらずらと読みづらい長文で書き続けてきた。こんなもの誰が読むんだとか、くだらない趣味だと自分でも思っていたけれど、就職活動をはじめてからというもの、このブログには非常に助けられている。というのも、過去の自分が何を考えていたのかということが、エントリの推敲されていない冗長な文章を読むことでリアルに思い出せるのだ。そしてこのことは、ESや面接のネタ作りにとても役立つ。そういえば、二年前の俺は「このブログは読者を想定していない、自分のために書くものだ」と最初のエントリで記していたが、本当に自分のためになるとは驚きだよ。

自分の長所と短所について

バイト先の店長によれば

長所…仕事にひたむきなところ

短所…頭が回らないところ

 

研究室の指導教官によれば

長所…批判と推理が鋭いところ

短所…勤勉さに欠けるところ

 

麻雀仲間によれば

長所…面白いところ

短所…性格が悪いところ

 

母親によれば

長所…性格が優しいところ

短所…心が弱いところ

 

それぞれがそれぞれの立ち位置から俺という人間を見ていることが分かった。だからその見え方は彼らの観測角度によって大きく変わってくる。まるで月みたいだな、と思った。地球に住む人間はもちろん、月に住むうさぎたちでさえも月の全体像を捉えることは出来ない。人間が自分の身体の全体像を自分の目だけで見ることが出来ないのと同じことだね。それをするには、どうしても鏡が必要だ。

 

 

難しい外国語と簡単な外国語(言語学的観点から)

どの言語を難しく感じてどの言語を簡単に感じるかは、学習者の母語によって相対的に変わる。例えば、日本人にとっては英語の習得が難しいとよく言われているけれど、これはたぶん正しい。アメリカ国務省機関のFSIが公表している資料では、日本語の習得難易度はアラビア語、中国語、韓国語と共にカテゴリーⅣに分類されており、これは、アメリカ人にとって日本語の習得が非常に困難であることを示している。つまり、逆に考えれば日本人にとって英語を習得することも、それと同等に困難なことなのだ。そこには色々な要因があるけれど、SLA (Second Language Acquisition) というアメリカで発達した言語学の一分野では、母国語と学習言語の言語的距離が離れていれば離れているほど外国語の習得は難しくなると言われている。つまり、日本人にとっての英語が、アメリカ人にとっての日本語が難しいのは、この二つの言語が音韻論的、形態論的、統語論的にとても離れているからだと考えられる。

 

しかし、世界には様々な母国語を持つ人々がいるにも関わらず、世界中の人たちから異口同音に難しいと評される言語がいくつかあるのも事実だ。そうなると、母国語による相対的な難易度はさておいて、絶対的に習得が難しい言語というものが世界には存在するのではないかという疑念が浮かぶ。このような言語として挙げられるものには、例えばロシア語とアラビア語があり、実はこの二つの言語は言語学的によく似た特徴を持っている。専門的な話になるが、言語は大きく分けると屈折語膠着語孤立語の三種類に分類することができる。それぞれの説明と解説は長くなるのでここでは省くが、興味を持った方は調べてみると良いだろう。ロシア語とアラビア語は共に屈折語に属していて、かつ他の屈折語と比較してもかなり屈折的性格の強い言語といえる。屈折というのは簡単にいえば、一つの単語の中に色々な情報を詰め込むということだ。例えば英語の"goes"という単語は、「行く」という意味以外にも、その行為の主体が三人称の単数であることを示している。ここで話は少し逸れるが、なぜ英語は三人称の単数が主語の場合のみ動詞に-sを付けるのだろうか。実は、昔の英語では三人称単数だけではなく、一人称単数も二人称単数もすべて語形変化をしていたんだ。三人称単数の-sはその時代の名残だと考えられる。また、昔の英語では動詞だけでなく、名詞も文中の働きによって格変化をしていた。しかし、現在の英語はそういった意味の分別を全く語順に任せるようになったのだ。そのため、現在の英語は語順にとても厳しい。こういった現象を、屈折的性格の弱化という。先ほど、ロシア語やアラビア語は屈折的性格が強いと述べたが、つまりロシア語やアラビア語は英語と比較すると、名詞も動詞もその文中における役割を示すために色々な形に変化するのだ。このことが、世界中の人々から難しい言語と評される一因になっているように思う。

 

しかし、屈折的性格の強い言語というのは、語形変化のパターンさえ覚えきってしまえば、その運用は英語などよりも簡単になる。なぜなら、先ほども述べたように、屈折的性格の強い言語は単語の文中における役割を示す際に、英語のように語順や前置詞に頼る必要がないからだ。つまり、ロシア語やアラビア語などの言語は学びはじめが難しく、ある程度マスターしてからは比較的使いやすい言語といえる。だが、言語というのは学びはじめが最も根気を要するものなので、このような屈折的性格の強さが両者を学びにくい言語たらしめる要因になっているのだろう。

 

余談だが、ロシア語やアラビア語の正反対、つまり学びはじめが楽な言語は何かと聞かれれば、文法的観点から一つには中国語が挙げられるだろう。その文字の複雑さによってFSIの評価では日本語と同じカテゴリーⅣに分類されているが、我々日本人にとって漢字を使うことはそれほど難しいことではない。しかし、勘の良い方なら気付かれたと思うが、中国語はある程度以上のレベルになってくると途端に運用が難しくなるのだ。なぜなら、中国語は前述の言語の三分類にあてはめると、屈折語とは正反対の孤立語とされるからである。孤立語とは、原則的に一つの単語が一つの意味しか持たない言語のことを指す。例えば、中国語で"去 qu3"といえば、それは「行く」という意味以外にはどんな意味も含まないのだ。これは一見話が早いように感じるが、文が複雑になった時に動作主体が誰なのか分からなくなるという事態を招く。このことはロシア語と比較するととても対称的に映る。ロシア語では「行く」という意味の単語がたくさんある。"идти"「歩いて行く」 "ехать"「乗り物で行く」"летать "「飛んで行く」などなど…。そしてまた、"идти"には"ходить"という亜種がいて、それぞれが定向動詞と不定向動詞の対立を為し、またまた、"идти"から"придти"「歩いて到着する」"уидти "「歩いて去る」という風に接頭辞を用いて意味を付加することもできてしまう。こんなもの学習する方からすれば勘弁してくれという感じだが、ここまで体系が複雑に細分化されていると、語形を見ただけでその単語がどういう役割をしているのかがはっきりと分かる。つまり、英語や中国語で頻繁に起こる「何が何にかかっているのか分からない」という現象があまり見られないのだ。

 

こんな理由もあって、一概にどの言語が難しいとか、どの言語の文法が複雑とか、そういったことは簡単に決めることが出来ない。

 

簡潔に正しく

就職活動をしていると、簡潔に正しく自分の意見を述べることが求められているなと感じる。簡潔に正しく、素早く丁寧に、顧客第一かつ利益第一、、合理化を追求する社会では相反する二つの条件を同時に満たすことが要求されるのかもしれないけれど、これは中々難しいことだ。例えば、エントリーシートなどで「あなたが影響を受けた言葉とその理由について200文字以内で書いてください。」というお題があったりするけれど、これについて本当に200文字以内で書ける人っていうのは、そもそもその言葉から大した影響を受けてはいないと思うんだな。本当に自分の思うことを過不足なく伝えようとすれば200字という文字制限はあまりに少なすぎる。しかし、こういうルールのあり方そのものに文句を言う人間よりも、提示されたルールの中で最善を尽くす人間を企業は欲しているのだろうな。そういった意味では、このお題によって就活生を振るいにかけることには成功しているね。

 

何だかこういうやり方には辟易してしまうな。『超訳』みたいな、名言だけが連なった本でお手軽に手っ取り早くありがたみを感じる人たちと同じようなにおいを感じるんだ。名言やなんかは、文脈や流れを読み解いた中から拾い出すことではじめてその意味が分かるものではないだろうか?何にしたって、「手っ取り早く」という言葉が嫌いだ。

理想像

色んな遊びを知っていて、人を惹きつけるユーモアな話が出来て、みんなに慕われる嫌みのない男になりたい人生だった。実際はというと、俺が知っている遊びといえば大概くだらない賭け事だし、話をすれば他人を面白おかしくこき下ろして笑いをとってしまうし、何も出来ないくせにプライドだけ高くて周りを見下してしまうのだから、周りから慕われる男には程遠いと言わざるを得ない。

 
それでも俺にひとつ長所があるとすれば、それは色々な境遇にいる人の心情を概ね把握できるという所ではないだろうか。俺はスポーツや勉強に建設的に取り組んでそれなりに結果を出せた時期もあったし、何の目標もなくお酒とたばこと賭け事で日々を浪費した時期もあった。家が貧乏で色々なものを我慢した時期もあったし、自由なお金を手に入れて自分のしたいことや欲しいものにつぎ込んだ時期もあった。心優しい恋人に恵まれて素敵な季節を過ごした時期もあったし、アニメやゲームで一人の寂しさを紛らわせながら孤独に過ごした時期もあった。知らないことの自由さも、知っていることの不自由さも分かっているつもりだ。
 
いや、何も人生経験が豊富って訳じゃないんだ。事実、上で挙げたことのどれもが中途半端で終わっているからね。ずっと建設的な努力を続けていたなら俺は今こんなに無様なことにはなっていないだろうし、かといってあのままずっと無益な日々を過ごしていたら俺は今こんな風に将来に希望を持って生きていなかっただろう。結局、立派な人間にも完全なクズにも俺はなれないんだな。普通の人ってことだよ。
 
でもね、ニュートラルな普通の人だからこそ、何かに振り切った普通じゃない人たちのことだって五割くらいは理解することができるんだ。簡単にいうと、俺は色んな人と仲良くなれるような気がするんだな。これが唯一の長所といえるね。
 
普通っていうのは凡庸でつまらないかもしれないけれど、それなりの利点がある。例えば俺の頭は良くも悪くもない凡庸なものだと自他共に認めるものだけれど、凡庸だからこそ、自分より頭の良い奴の考えも自分より頭の悪い奴の考えも五割くらいは理解できるんだ。五割だって理解できることは素晴らしいことだと思うよ。もし俺がとてつもなく出来の良い頭の持ち主だったら、頭の悪い人間の思考など考えもつかなかっただろうし、彼らに伝わるように物事を説明することだって出来なかっただろうからね。逆に俺の頭がめちゃめちゃに悪かったら、今みたいに食らいついて自分より遥かに頭の良い奴の言うことを理解しようと努めることは叶わなかっただろう。
 
なんとなく当初の話題から逸れてしまった気がするけど、とにかく嫌みのない人間になることから始めたいって思うんだ。ほんとは皆から好かれる人間が一番良いのさ。

俺とポケモン

子どもの頃は身体が弱くて、病院に入ることがよくあったんだ。入院すると俺は大抵同年代の子どもたちと同じ病室に入れられるんだけど、当時からあまり人と話をするのが得意じゃなくて、他の子どもたちが皆で仲良く遊んでいる時だって俺は「日本の鉄道車両図鑑」みたいな本を一人で読んでいたんだな。そんな俺を見かねたお父さんが、ある日俺にゲームボーイをプレゼントしてくれたんだ。「ポケモンピンボール」というカセットと一緒にね。これが俺のゲームとの、またポケモンとの出会いだったな。ゲームボーイを持っている子どもは当時そこまで多くなかったから、俺はたちまち病室の人気者になることができた。

 

そんなこんなで、退院してから小学校に上がるまで俺はずっとポケモンに夢中になっていた。「ポケットモンスター金銀」が発売されたのもちょうどこの時期だったかな。実は「金銀」は小さな子どもにとって中々難易度の高いゲームで、一人で攻略することが出来なかった俺はよくお父さんの力を借りていたんだ。ワタルを倒したのもレッドを倒したのも、お父さんだったような気がするな。俺はそれを脇から見て、「すげー!」って言ってるだけだった。

 

小学校二年生の夏休みに両親が離婚して、お母さんに引き取られた俺は今までと別の小学校に通うことになった。その時も引っ込み思案な性格が災いして、俺は転校早々クラスの中で孤立してしまっていたんだ。だから俺は学校が終わるとすぐに家に帰って、お母さんが仕事から帰ってくるまで一人で昔お父さんがクリアしてくれた「金銀」をプレイしていた。当時のことを思い出すと、子どもながらに中々辛いことが多かったような気がするよ。大人になってから母親に聞いた話だけど、当時の俺はストレスで軽度のチック症を発症していたらしいんだ。チック症というのは何も知らない周りの子どもたちからみると少し気味が悪く見えてしまうものだから、そういったことも俺に友達が出来ない一因になっていたのかもしれないね。

 

その後転校して二ヶ月が過ぎた頃だったかな、ポケモンの新作「ポケットモンスター ルビーサファイア」が発売された。ルビサファは俺が持っていたゲームボーイじゃプレイ出来ないソフトだったんだけど、どうしても新作のポケモンで遊びたかった俺はお母さんにお願いして新しいハードとソフトを買ってもらったんだ。離婚してからうちはもうめちゃくちゃ貧乏だったから、きっとそれは当時のお母さんにとって大きな出費だったと思う。それでも、お母さんは嫌な顔ひとつせずに買ってくれたな。今でもお母さんと一緒にゲームボーイアドバンスルビサファを買いに行った日のことはよく覚えているよ。ゲームボーイアドバンスは地元のおもちゃ屋ですぐに買えたんだけど、ルビサファは当時ものすごい人気で、どこのおもちゃ屋でも売り切れになってしまっていたんだ。結局発売日にはソフトを手にいれることが出来なくて、俺はその日めちゃくちゃ泣いてお母さんに当り散らしたんだよ。すると翌日、仕事から帰ってきたお母さんはお土産だよ、といって俺に「サファイア」をプレゼントしてくれたのさ。きっと仕事が終わったあと、車で市外の大きなおもちゃ屋まで出て買ってきてくれたんだろうね。疲れてただろうに、ありがたい話だよ。

 

それから俺は友達と外で遊んだりせずにずーっと一人でポケモンをやっていたから、ポケモンに関する知識は誰よりもあった。クラスメイトからのポケモンに関する質問に答えてるうちに、いつしか俺はクラスのポケモン博士と呼ばれるようになって、それがきっかけで何人かの友達も出来るようになったんだ。そう、こうしてふと昔のことを思い出すたびに、俺はポケモンとお父さんとお母さんに感謝しなければならないなあと思うわけだね。